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花とインコ

ベランダガーデニングとインコたちの日々の記録(*^_^*)

3.11あれから3年


今日の記事は2011年3月11日の東日本大震災の

杜のタマゴの体験・感想記で、この3年忘れないうちに

書き留めておきたいと思っていたことです

見る人によってはショッキングな言葉や写真も

含まれますのでショックを受けやすいと

思われる方はスルーしください





震災以後、会う人会う人にはこうだった、ああだったと

話しはしていたのですが、この3年、震災のせいかどうか

解りませんが体調崩したりが何回かあり

文章にする気にはなれず、このブログも気にしつつ

ほぼ2年間ストップしてしまいました



震災当日はお昼過ぎに盛岡から

友人Aさんが遊びに来ていました

ふたりでお菓子を食べハーブティーを飲みながら

おしゃべりしていて午後2時46分、揺れ始め、

最初は震度3くらいかな?

でもAさんにとっては14階の揺れは

震度4〜5くらいに感じたようでした

わが家は免震構造ではなく耐震構造なので

上になればなるほど揺れが大きくなるのです

それにしても長いので玄関のほうへ行ったほうが良いと思い

かたまっているAさんの手を引き部屋の出入り口まで来たとき

ものすごい揺れになりそのまま動けなくなりました

部屋の出入り口で両手を突っ張り

二人向き合い悲鳴上げながら耐え抜きました

揺れている間の「ゴ〜〜!ギシギシ〜〜!」

地鳴りのような音に混じって

家の中のものが倒れる音、食器が割れる音、

揺れがおさまって何を一番先にしたかは忘れましたが

お互いケガのないことを確認し合いました

部屋の出入り口で身体を支えられなかったら

シェーカーの中の氷状態で頭や体を

あっちこっちにぶつけケガをしていたと思います

それと夜寝ているときだったらと思うとゾッとしますね



玄関の近くに2部屋あり、その一部屋にいたので

先ずリビングルームに行き、インコたちの

無事かどうかを確認しました

スチールラックごと50〜60センチくらい

斜めに移動していましたがケージは一つも

落下していなかったのでホッとしたのを覚えています

今朝の写真、震災当時と同じ場所です

143113 




リビングルームにも割れた食器のかけらが

あっちこっちに見えたのでスニーカーの

底の汚れを拭き家の中で履きました


台所、食器棚は上の方にタオルなど軽いものしか

入れていなかったせいか食器などは飛び出しましたが

倒れてはいませんでした

流し台の引き出し、トビラも開き、中にあったものが

散乱して最初は膝丈くらいまで落ちたものがありました

これは落ちたものを少しかき出した次の日の写真です

143111 

当然のごとくの停電、回復したとき危ないので

ブレイカーOFFにして、水は出るか?ガスは大丈夫か?

ライフライン全部ダメ!!もちろんエレベーターも!



次にラジオ、いえ、もしかしたらラジオが最初だったかも

電池を入れ替えスイッチを入れても

ザーザーガーガー、いつもの放送局が聞けませんでした

どこか聞けるところがないか端から端まで

ダイヤルを回すと、音声が入ってきました

ラジオ放送ではなくテレビの音声でした

しきりに津波警報を流していました



ここまで揺れがおさまって10分位だったと思います

夫ちゃんは地震直後携帯で電話したそうですが繋がらなく

「大丈夫か?」一言だけのメールが届きました

すぐに簡単にわが家の状況を返信しましたが

夫ちゃんには届かなかったのでした



私たちがいた部屋はすべての家具が倒れ

その一番下にAさんのバックがあり

そこから彼女の携帯電話の呼び出し音が

ビービー鳴り響いていました



 私たちがいたとなりの部屋です

高さ180センチの本棚がイスの背もたれに

引っかかって中途半端に倒れています

143112 



Aさんは盛岡在住ですが、心配したお友だちや

知り合いから問い合わせ電話やメールが届いていたのでした

それで先ずこの部屋から、Aさんの携帯電話を

取り出すために片付け始めました

揺れたとき本棚からは先に本が落ちその上に本棚が

乗っかっていて、余震でまたということも頭をよぎり

背の高い本棚を寝かせておこうかどうしようかと

思いましたが物が散乱しすぎてスペースもないので

とりあえず立てておき、本や物は下の段2段くらいに

突っ込み、入りきらない物は積み上げておくことにしました

この部屋を片付けている間にも普段だったら

怖いと思うくらい大きな余震が何回もありましたが

本震のものすごい揺れがあったばかりなので

恐怖より何とかしなくちゃと言う思いで

「また揺れている!」くらいにしか感じなかったのでした

ふと窓の外を見ると雪が吹雪いていました



Aさんは携帯電話を取り出し最初はていねいに

応対していたのですが、すぐに充電できる状況ではないので

残りの電池量が心配になりマナーモードにしたようでした

彼女のご主人は転勤族なので全国にお友だちがいて

連絡してきていたのです

充電はわが家に来る前に100%にして来たそうです




さて、隣近所はと思い、同じ階の他の家を訪ねたら

外にいて慌てて帰ってきたBさん、

Bさんが訪ねたとき一人でいてパニックになって

泣いていたというCさん

Bさんとはお互いに無い物を物々交換しました

他のお家の方はしばらく職場や避難所に

いたそうです



さてこの部屋の片付けは彼女にまかせ

杜タマは暗くなる前にやっておくことを考えました

先ず食べ物を台所の一番奥にある冷蔵庫から出し

箱やビニール袋に入れ北側のベランダに置きました

水はさいわいペットボトル2箱2Lが12本ありました

あとは来る来ると言われていた宮城県沖地震に備えて

10年くらい前に買っておき時々使っていた

カセットコンロと反射式ストーブを出してきました

ローソク、マッチ、ありったけの防寒具

布団や毛布、常備薬、ホッカイロ等

車のガソリンはメーター半分、灯油18L×2

インコたちの餌1週間はOK

そのとき杜タマの携帯電話のバッテリーは50%

心配していろいろな方が連絡下さったのですが

バッテリの残量を考えると返信も出来ず

返信しないでいると再度連絡が入ったり

短い文章で何人かには無事を知らせましたが

あっという間に充電切れになりました




ラジオから流れてくる津波の警報

若林荒浜地区で遺体が200〜300〜〜見えている

だったら何で助けないの?とこのときは思いました

この状況を何回も伝えていました。

津波の高さも今まで聞いたことのない

5メートルとか10メートルとか

海沿いの☆◯◇町は壊滅状態???

しかも1カ所や2カ所ではなく多くの場所で〜〜

理解が出来ずに聞いていました

東側の窓からは大きな火の手が上がっていて

夜になるとかなり離れているのですが

さらに大きく近く見えるので怖かったです

そこにいた人たちはどうしているのだろうか??

火事は2カ所見え、仙台港と閖上で

1週間くらい燃え続けていました



夕方暗くなる前に残っていたゴハンでおにぎりを作り

インスタント味噌汁で食べましたが気持ちが高ぶっているのか

食べると言うよりは押し込んだという感じでした

Aさんのご主人は東京出張帰りの新幹線の中で被災、車中泊




rousoku 
 借り物です



暗くなり、割れたどんぶりをロウソク立てにして

火をともし、二人でボーッと眺めていました

停電が何日も続くなんて

暗いと片付けも何にも出来ないってことが分かりました

当たり前に使っていた電気、ありがたいことです





夜9時すぎに夫ちゃんが職場から2時間以上

歩いてやっと帰ってきました

街中は停電で真っ暗、公共交通機関は

すべてストップしていたので仙台でも歩いて

帰宅する人たちがいっぱいいたのでした

あり合わせを食べ、明日も一応職場に行くと言って

散乱している物をかき分け布団を敷き

横になり、やがていびきが聞こえてきました

歩き疲れたのでしょうけれどこんな時でも

すぐに眠れる夫ちゃんにAさんと二人で感心していました





夫ちゃんが無事帰ってきて安心したのか

Aさんと私も力が抜け横になったのですが

頭はパキパキにさえていてぜんぜん眠れなかったです

3人とも横になったと言っても

服着たまま、さらにジャンパーなども着ていました










地震当日のことで、こんなにいっぱい書いてしまいました

震災数日後のこと、街中の様子、Aさんが帰るまでなど

わが家でもいろいろあったので書くつもりでしたが

後日続きを書きますので今日はここまでにします






ここまで読んで下さり、本当にありがとうございます

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コメント


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あれから3年経ったんですね。
杜のタマゴさんのお宅も大変な被害に遭われた訳ですね。

当時、甥も仙台に住んでおりました。
姉は原発20km圏内居住者であった為、未だに避難所暮らしです。
我が家の先祖のお墓も、20km圏内にあり、現在は昼間だけしか入る事が出来ません。4月26日に震災後、初めて墓参りに行く予定です。

なないろいんこ | URL | 2014-03-11(Tue)21:53 [編集]


3年経ったのですね。
おかんは大阪北部で神戸の震災にあいましたが、
東北大震災は、神戸に比べて範囲も規模も大きく
被害に会われた方は本当に本当にたいへんだったと思います。
杜のタマゴさんとお友達さん、
揺れの小さいうちに玄関に行かれて、本当によかったです。
インコちゃんたちのケージも倒れてなくて、本当によかった!!

思い出されるといろいろおつらいと思います。
ご無理のないようにしてくださいね。

権造おかん | URL | 2014-03-11(Tue)23:12 [編集]


震災とインコちゃん!

杜のタマゴさんへ

おはようございます!

あのときの地震はすごかったです。
こちらでも11日ほど電気が来ませんでした。

そして、インコちゃんたちの家で落下しなかったことはすごい奇跡的なことですね。
地震の前にインコちゃんたちは騒いだのでしょうかね。

そのあとも3.11の余震で4月に大きな地震が真夜中にありました。あのときのインコちゃんたちは騒いだりしませんでしたか。

でも、震災を乗り越えたすごいインコちゃんたちですね!v-519v-521

duck4 | URL | 2014-03-12(Wed)09:51 [編集]


あの日はお互いに大変でしたね
3年は長いような短かったような
生後3か月だった孫も元気で活発な男の子になっているんですものね!!
次の日やっと自宅に帰ってそれからが大変な生活でしたよね
息子夫婦たち全員が集まっての生活
9人分の食料確保に奮闘しました
良く頑張れたものだと今になって感心しています
杜タマさんは偉かったですね
いろいろ準備していて
私は反省です

がらすや | URL | 2014-03-12(Wed)14:33 [編集]


こんにちは

本当に、大変な一日だったのですね・・・
詳しく書いていただいたので、その様子を
つぶさに感じることができました。
とっさの行動で出入り口に行き、その結果
何かの下敷きになったりぶつかったりすることなく
本当に良かったと思います。
あんなに物が散乱して、しかも停電、火災も見えていて
流れてくる情報はどんどん深刻になっていく。
精神的にも、堪え難い状態であったろうと思います。

普通に暮らせることがいかにありがたいことか、
改めて思い直しました。

里花 | URL | 2014-03-12(Wed)16:52 [編集]


Re: なないろいんこさんへ

あれから3年経ったけど、長かったような短かったような・・・
当初3年経ったらもっと復興しているのかなと思ってました。

なないろいんこさんのお姉さまもまだまだ大変なのですね。
早く当たり前に普通に暮らせるようになるよう祈っております。

杜のタマゴ | URL | 2014-03-12(Wed)18:54 [編集]


Re: 権造おかんさんへ

本当に3年経ったのですね。
おかんさん、神戸の震災の時はインコさんやウサギさんはいたのですか?

わが家では地震の時のルールがあって、これは大きいと思ったら
「廊下に逃げる」、14階に住んでいると我が家に来た人とも
よく地震来たら怖いね、なんて話題に良くなるので
お客さんにも危険を感じたら、どこに逃げるかよくお話ししています。

わが家は大きなケガもなく、物が壊れただけで住みましたが、
未だにテレビなどで震災や津波で亡くなった家族の話などの
テーマだったりすると泣けてきてしまいます。


杜のタマゴ | URL | 2014-03-12(Wed)19:06 [編集]


Re: 震災とインコちゃん!

duck4 さん、こんばんは!

わが家では電気・水道・エレベーターは6日目、
ガスは使えるようになるのに約1ヶ月かかりました。
杜タマ地区は水道は大丈夫だったようですが、
マンションは電気がダメだと水を上げられないので止まってしまうのです。

インコたちのケージは簡単な落下防止策をしていたのと
大きさのわりには軽いので落ちなかったのですね。

わが家のインコたちは地震予知やお知らせは出来ないようです・・・
揺れてから騒いだり暴れたりすることはあっても
揺れる前に騒いだことは残念ながらありません。

4月7日の大余震もすごく揺れましたね、
本震よりこの余震のほうが被害がひどかった地域もあったようですね。



杜のタマゴ | URL | 2014-03-12(Wed)19:20 [編集]


Re: がらすやさんへ

3.11、本当に大変でしたね。

あの地震を体験し乗り越えた一人一人にそれぞれのドラマがあるのですね。
みんなで肩寄せ合って生活したり・・・

食べ物の確保調達、寒いのに何時間も並んだり本当にしんどかったですね。
杜タマは友人がいたので何とかしなくちゃと頑張れたのだと思います。
もし、一人だったら・・・と思うとゾッとします。

杜のタマゴ | URL | 2014-03-12(Wed)19:27 [編集]


Re: こんにちは

里花さん、こんばんは!

詳しく書いたのは、時間が経つと忘れてしまうので
絶対に忘れてはいけない体験だと思ったのでこれ
以上時間が経ったら記憶も薄れると思い書きました。

部屋から出なかったら大けがをしていたと思います。
これが夜中の地震だったらと思うとゾッとします。

本当に普通に暮らせていることがありがたいです。

杜のタマゴ | URL | 2014-03-12(Wed)19:35 [編集]


杜のタマゴさんへ

三年前の大きな地震を経験されていたんですね(涙)
みなさんご無事でよかったです。
読ませて頂いて、とても胸が苦しくなり涙が出てきました。
静岡では地震は少ないので、いつも「もしも」は考えてはいますが、実際事が起きた時に対応できるかどうか心配ではあります。
体験談程説得力があるものはありません。
身の安全、娘や鳥さんたちの安全、みんなの事は自分しか守れないんだ!と強く言い聞かせていきたいです。
いろいろなお気持ちがあったと思います。
深い内容を教えていただいて、ありがとうございました。

エマ | URL | 2014-03-14(Fri)20:53 [編集]


Re: 杜のタマゴさんへ

エマさん、こんばんは!

杜タマが生きている間に千年に一度の地震が来るとは思いませんでした。
驚かせてしまってゴメンなさいね!!
日本はどこで大きな地震や津波が来てもおかしくない国です。

ほんの少しの備えや準備が被災したときに役に立ちました。
でも、過ぎてしまうとああしておけば良かった、こうしておけば
良かったと思うこともたくさんありました。

私の限られた体験ですが参考にしていただければ嬉しいです。


杜のタマゴ | URL | 2014-03-15(Sat)21:38 [編集]


3年ですね・・・

こんばんは。
杜のたまごさん宅は仙台でしたから、大変だったんじゃないかと以前から思っていました。
私もあの3年前の出来事は忘れたくても忘れられません。

仙台・宮城・福島の方々に比べたら微々たる出来事でしたが、私はスーパーマーケットという仕事をしていて初めてお客様に対して「ずるい」という感情が湧き出しましたね。
「なぜ商品がないんだ!!!」「納豆はもうないの?」「牛乳は?」「たまごは?」「おこめは??」
こんな時に商品が入ってくるわけがないのに感情むき出しでした。
それに商品が入ってきてもスーパーの従業員は買えなかったんです。お客さん優先で・・・従業員もお客さんと同じ状態なのに・・・あれは辛かったですね。
ある意味私たちも被災者だったんじゃないかと思っています。

復興もさほど進んでないようですね。
政府が進んでもっと積極的に取り組んでいってほしいものです。自分たちは安全なところにいたから被災者の本当の気持ちがわかっていないのかもしれませんね。
私も偉そうなことはいえませんが・・・

「一日も早い復興を祈っています。」

hassurumama | URL | 2014-03-21(Fri)20:15 [編集]


Re: 3年ですね・・・

hassurumamaさん、こんばんは!

ご心配いただき、ありがとうございます。
3.11では日本中いろいろな意味で揺れましたね!
直接の被害が無くても買いだめに走ったり・・・

hassurumamaさんは、私たちとは違った意味で大変な思いをしたのですね。
見なくてもいい緊急事態時の人の誠実味に欠ける自分本位な行動・・・
仙台でも商品があっても店自体が被災していて営業できないスーパーなど多かったです。

未だに27万人近い人が環境の悪い仮設住宅、
見なし仮設で不自由な暮らしています。
当初2年間と言っていたのに3年経っても何の見通しも無いのです。

政府は義援金を関係ないところに回したりしないで
早く安心して暮らせる住宅、仕事など整えて欲しいです。



杜のタマゴ | URL | 2014-03-21(Fri)22:38 [編集]