1年ぶりに3.11東日本大震災関連の記事です
前回までの震災記事は
カテゴリ「3.11東日本大震災」にあります
盛岡から遊びに来ていた友人Aさんは
震災から4日目にご主人が車で長時間かけて
迎えに来て帰って行き、無事帰宅できたと
連絡があったのは夜遅くなってからでした
彼女が帰って後、夫ちゃんから
Aさんが帰って安心したのか杜タマの表情がガラッと
変わったと言われました
意識していませんでしたが彼女がいる間は
気を張っていたようです
その晩はそれまでよりは眠れたのを覚えています
次の日は5日目は携帯電話を充電させてくれる
お店があると同じ階の人に聞いていたので
歩いて20分、行ってみました
充電を待ちながら同じように充電しに来た人たちと
いろいろ情報交換が出来、無料で和菓子を
配っているお店があるというので
充電90%で切り上げ行ってみました
以前買い物したことのあるお店で
プロパンガス、水は止まらなかったので
材料があるだけですが、おこわやあんこ餅を
作って配っていました
本当に無料で良いのですか、と聞くと
いつもお世話になっているから困った時はお互い様
そう言いながら温かいあんこ餅をパックに詰め
手渡して下さいました
感謝、感謝でありがたくいただいて帰りました
お昼過ぎにわが家に着くと電気が使えるようになっていました
水道も夕方には使えるようになり
ガスはまだでしたが、電気ポットとカセットコンロで
お湯を沸かし5日間の垢を洗い流しました
夜、電気が付くって、なんて明るいのでしょう!
普段のあたりまえの生活のありがたさをひしひしと感じました
次の日6日目、点検後エレベーターも
使えるようになり、14階までの階段上り降りから
やっと解放されました!!
台所も割れた食器など片付け、食器棚は
壊れなかったいくつかの皿、器、マグカップを
入れてもガラ空き、冷蔵庫の中もほぼカラッポ
買い置きもしなくちゃ心理が働き
食べ物を買いに長蛇の列に長時間並びましたが
1回で体調崩し、もうこりごり・・・
大きなスーパーやお店は、店の中から品物を出してきて
店頭販売しているところが多く混み合っていました
でも、ちょっと路地裏にある小さな八百屋さんなどは
並んでいる人もいなくて思わぬ物があったりしました
1週間後になると仙台市内の電話が
何とか通じるようになり友人知人お互いの
安否確認の電話やり取りが増えました
連絡がなかなかつかなかった遠くの友人は
津波の映像を何回も見て杜タマも流されたのではと
やっと通じた電話の向こうで涙声でした
余震もかなり頻繁に大きいのがあるのですが
本震のあの揺れとあの長さを体験したせいか
恐いけど恐くない!?!
物も倒れない落ちないようにしてあったので
本当は恐いのにへんてこりんな気合いで
乗り切った感じでした
今、4年目になると3.11の後に
買い置いた非常食などは賞味期限切れ
上手に食べて買い足さねばと思います
3.11以前は非常時の備えは3〜4日分
と考えていましたが、今回の経験で
家族プラス1〜2名、1週間分が必要と思いました
それとインコの食べ物は普段1ヶ月分を
切らないように買い置きするようになりました
当初、店頭販売では人間用の食べ物が優先で
ペット用は普段買えるスーパーなどでも聞いてみると
店内がゴチャゴチャで危険で取り出せない
と何件かで断られました
普段はインターネット通販で買っているのですが
停電、流通混乱を考えるとネットが1週間後に使えても
宅配に制限が出て手元に届くのに時間がかかります
大事な家族を飢えさせることは出来ないので
震災後は近所のスーパー、ホームセンターなどに
どんな種類の餌があるかチェックもするようになりました
あとは非常時のことを考えて
ペレット、シード、いろいろ食べられる仔に
育てるのがベストかなと思います

仲良し兄弟 れもんちゃん&めろんちゃん
インコたちは震災後の余震も
怖がることもなく元気に遊んでいました
買い置きであって良かったのは
ペットボトルの水2L−12本、
反射式ストーブ、カセットコンロ、電気ポット
あったほうが良いと思ったものは
携帯トイレかその代わりに使う
大きな黒いビニール袋とペットシーツ
または吸水性の高い大人用のおしめなど
断水で水を流せないトイレは大問題です!
今日はここまでで終わりにします

長々読んでいただきありがとうございます

また何か思い出したら書きますね
そうそう、昨日3.11
東日本大震災をいっしょに過ごした
Aさんから電話があり
あの時は〜、などたくさんおしゃべりしました
震災を共有したせいか親友以上の
つながりというか絆を感じます
今日もご訪問

ありがとうございます
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